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サッカー監督になりました

更新日:8月27日



サッカー監督になりました


20年前、今の選手たちと同じくらいの年齢のとき、自分は何をやっていたかなぁ。。。

と思い出すと、、、


三井と住友の合併。銀行と商社の合併。

顧客も合併しまくりの、大合併時代を生きていました。


今は、身近に感じるM&Aという言葉も、当時は、えっ何、チョコ?みたいなレベルで。

誰も近づきたがらない仕事。だから、それが私に降ってくる。


そういう合併案件をいくつもこなし、人間の業を垣間見ていましたね。




一番きつかったのは、自らのグループの銀行と商社の合併で、それはもう本当に半沢直樹の世界。


銀行に設けられる会議室にはレベルがあって、役員会でしか使えない部屋がある。

そこに入り、議事録を取り、実態の調査をし、役員にレポートするのが私の役目。



すると、合併相手の銀行本店法人営業部トップの役員が、私を懐柔しようと近寄ってくる。


直電が鳴りまくる夜・・・


財閥銀行の上層部は、日本のヒエラルキーでいうと最上位。ものすごい権限を持っている。



彼は、当時、若手の先導者であった私の影響力が欲しかったのでしょう。



私に近づき、こう言いました。


「君の将来はもう安泰だ」


ところが、そのあと、私が垣間見る人間の業は、なんとも醜い世界でした。



合併直後の会社の足の引っ張り合いは、本当にひどい。


地獄絵図と化します。


誰かを引きずり下ろさなければ、自らの命が危ないかも知れない。


目立つ対象を見つけては、総叩きをすることで、一体感を増していく。


対象となった私に待ち受けていたものは、中間管理職による仕事の取り上げ、悪評の吹聴、陰口の数々。


困難なときは、学ぶしかない、と勉学、自己研鑽に励めば励むほど、妬みややっかみは増幅し、挙句、評判が悪い人として、評価まで捻じ曲がる。


あとは、ひたすら粗を探されて、私の首を取った人間は、見事に出世していましたね。



こうして、私の社会人としての人生は幕を閉じました。


母親が一番、残念そうでした。それが一番悔やまれることかな。


だけど、そんなことを振り返っていても仕方がないから、私は残された人生を楽しめるように、自分がやりたいこと、社会のためになれるようなことを探して、覚悟を決めたのが、このリアルサカつくです。


若い男性が、おかしな圧力で捻じ曲がった人格形成にならないように。誰かの足を引っ張って喜ぶような人間にならないように。


そういう想いも込めて、関わっています。


最近は、もう一緒にボールを蹴れるほどついていくことができないですが、

監督という立場で、一緒に汗水垂らして戦っているときは、とても幸せな時間です。



今の男の子たちには、しっかりと自分の目で信じるものを信じ、他者を認めながら、自立して生きていけるような人間になって欲しいなと思っています。


では。









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